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ポルトガルの音楽

アコーディオンとおじさん
By Pedro Simões (CC)

現代のポルトガルを訪れると、どこの国でも聞こえてくるようなポップやロック、あるいは軽音楽などが耳に入ってくる。地元ポルトガルの若手歌手もいるが、大半が国際的に活躍する歌手の歌声に占められている。また欧州各国で売れ行きのいい音楽がポルトガルでも人気を呼ぶのは必然的な流れといえよう。 

こうした一般の状況からは、ポルトガルらしさという点は見出しにくい。画一的なグローバル化は音楽の世界でも同様であるに違いないからだ。 
しかし民俗音楽という点ではどうか。それぞれのお国柄や、独自の伝統を誇る音楽については、世界が狭くなってきた今こそ見直されているはずだ。ではポルトガルの民俗音楽とは何か。答えは、ファド(FADO)である。 

ファドとは元々の意味は「運命」であり、この言葉からもファドの持つ意味合いが想像できよう。この言葉で呼ばれるようになったのは19世紀の半ばだが、元々はポルトガルを征服していたムーア人が、キリスト教徒による国土回復の後にも滞在し続け、己の定めを朗々と歌ったことが発祥であると言われている。すなわち18世紀にはすでに原型となる音楽が存在したと考えられている。

ファドはクラシックギターとポルトガルギターファディスタ(Fadista)と呼ばれる歌手一人によって歌われるのが基本で、Casa do Fado(直訳すれば「ファドの家」)でショー形式で歌われるのが一般的だ。もちろんこれは商業的かつ通俗的な姿であるが、通常ファドに触れようと思ったら、夜遅くにこうした専門の店を訪れて聞くことになる。
隆盛を迎えたのは1930年代から40年代で、ファドが映画や劇場などでファドが広く知られるようになった。いわばファドの黄金時代と言えるこの時期には、ファドの女王として今もポルトガル人の心に残っている、アマリア・ロドリゲス(Amalia Rodrigues)らが活躍した。

運命、と名づけられた音楽である如く、ファドでは過ぎ去った日々への追憶や、失われた恋、夜や陰、などといった悲劇や悲痛に悲哀が歌われることが多い。その歌詞には国民的詩人である「カモンイス」などの詩の一節が取り上げられることもある。
こうした伝統的なファドは主にリスボンを中心として広まっているが、学園都市であるコインブラでは一種独特のファドが普及している。これは数人の男性グループによって歌われるもので、黒の靴にコートという衣装で、やはり夜なのだが、広場や街頭で歌われることが多い。女性への恋心を、彼女の家の窓の下で歌うということすらある。
ギターによる伴奏という点ではリスボンの伝統的なそれと同じだが、トーンが低く、一種独特の雰囲気を醸し出している。また歌の題材として取り上げられるのも、学生達の恋愛、町への愛情、人間関係についてのテーマが多くなっている。これらコインブラのファドは1950年代にもっとも盛んに歌われていた。

ただし民俗音楽であることは、逆に政治に利用されるという一面も担っている。サラザールによる独裁政治時代には、ファディスタたちは国民的英雄として持ち上げられたが、その体制崩壊後は、圧制の象徴として一時期ファドが廃れたという歴史もある。それでも画一的な欧州の誕生した現在では、ポルトガルらしさの主張とアイデンティティの復活という面から、再びファドの人気が高まっている。


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