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ポルトガルの偉人

ワインテーブル
By Retinafunk (CC)
 
ポルトガル語翻訳の需要がある場合、その大半がブラジル関連のものであることが多い。日本とブラジルの近密度ゆえだと思うが、ポルトガル語の大元であるポルトガル本国に関するポルトガル語翻訳に触れる機会は少ない。こうしたことからも、日本人はポルトガルに対する馴染みがやや少なくなろう。名前を聞いたことのあるポルトガル人を挙げよと言われても、名前を挙げるどころか、たった一人も思い至らないことすらあるのではなかろうか。 

大航海時代と呼ばれる中世において、イスラム勢力を駆逐して世界に冠たる大国家を築き上げたこともあるポルトガル。ポルトガル語でEra dos Descobrimentosすなわち「発見の時代」と呼ばれるこの時代には、当然それに関連した偉人を輩出していたはずだ。 

15世紀の終わりに登場したヴァスコ・ダ・ガマは、喜望峰を経由してインドに到着している。このことでインドを通じたアジアとの貿易の権益を得ることにより、この功績でダ・ガマは伯爵に任じられた。インド洋航路を開拓したことこそ、ポルトガルが大航海時代の中心国として覇権を握るきっかけとなった。この開拓によって、イスラム勢力や欧州への権益を独占していたヴェネツィア共和国が衰退することになる。 

海辺
By
Alexandre Eggert (CC)
16世紀に入ると、英語名の「マゼラン」として著名なフェルナン・ディ・マガリャンイスFernão de Magalhãesが登場する。彼はダ・ガマとは逆方向、すなわち西回りの航路開拓を希望していたとされるが、当時のポルトガル王に案を蹴られ、隣国のスペイン王カルロス1世の命を受けて西へと進んだ。その艦隊は大西洋を経て南米大陸に到着し、南下を続けてついに太平洋へと抜けるに至る。平和の海を意味する太平洋O Mar Pacificoと名づけたのも彼だし、国際的にも通用するマゼラン海峡という名前で彼の功績を称えている。この航海の続きでマゼランは死亡してしまうが、残された艦隊は西へ進み続けスペインに帰国。これによって地球は丸いということが実証されることとなった。 

彼ら二人の名前を知らない日本人はいないだろう。だが、ルイス・ディ・カモンイスLuís de Camõesはどうだろうか。16世紀に生まれた彼は事実上、ポルトガルが史上最も繁栄した時代を生きた。自らもポルトガルの尖兵としてアフリカやアジアの植民地で戦い、負傷しつつも後世に残る詩集「ウス・ルズィアダス」Os Lusíadasを執筆した。歌集とも呼びうるこの詩集にて、カモンイスはダ・ガマを始めとする大航海時代の偉人達を格調高く謳った。
自身が亡くなった1580年は、ポルトガルがスペインに併合された年でもある。つまり、ポルトガルの栄光の時代が終結したわけでもあり、彼自身がその栄光の時代そのものを生き抜き、覇者ポルトガルの姿を渾身の想いで書き抜いた、その作品がウス・ルズィアダスということになる。
ポスト
By Madalena
Pestana (CC)
詩人としての存在にしても、世界的には彼の名は知る人ぞ知る存在かもしれない。しかし、ポルトガル人にとっては過去の栄光を現在の糧にする上でも大切な存在である。それを如実に物語るのが、祝日のポルトガルの日である6月20日だ。この日はまさにカモンイスの命日そのものだ。現在の祝日はキリスト教関連か、国家を記念する日付だけが対象となっており、唯一の例外が6月20日である。いかに現代ポルトガルにとってカモンイスが偉大な存在であるかを窺い知ることができよう。









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