ポルトガル語翻訳 ( 日本語 ⇔ ポルトガル語 )、校正のご相談ならELSまで

トップページポルトガル語圏の情報ポルトガル語文化における読み物直前のページに戻る


ポルトガルの歴史

馬
By
Madalena Pestana (CC)
ポルトガルは欧州の小国として、国際的にはさほどその重要度をアピールできない立場に甘んじている。しかし、その歴史は長く、また世界に冠たる大海洋王国として君臨した時代もあり、国民はけっしてその誇りを失ってはいない。

現在でもポルトガルを指す表現として「ルシタニア」という言葉がある。これは、紀元前に定住していたルシタニ族に由来しており、温暖で肥沃なイベリア半島には早くから定住者がいたとされる。ローマ帝国の属州になったり、アラブ人などの勢力がこの地に侵入したりと、侵略、再編の歴史が続く。10世紀になると、アラブ人に対する国土回復運動がイベリア半島で起こり、1095年にカスティーリャ・レオン王国のアルフォンソ六世から、エンリケ・デ・ボルゴーニャがポルトゥカーレ伯(Condato Portucalense)の称号を授かるに至る。この称号こそが後にポルトガルと呼ばれる国家の名称へと繋がることになる。

エンリケ・デ・ボルゴーニャの子エンリケスは宗主国であるカスティーリャ・レオン王国と争い、ついに1129年ポルトゥカーレ公として自立。1139年には独立を宣言し、ポルトガル王アフォンソ(Afonso)一世と称した。この国家は1143年にカスティーリャより承認され、ここに「ポルトガル王国」が誕生した。紆余曲折があったものの、最終的には1920年までこの王制は続くこととなる。

当初のポルトガルは、現在でいうところの北部が中心となっていた。すぐにリスボンに侵攻するなどして12世紀中に国土を拡大し、13世紀半ばにはアラブ人を放逐して、ほぼ現在のポルトガル領と同じ面積を獲得した。
15世紀になるとモロッコまで侵攻し、その後、エンリケ航海王子(Infante Henrique)が登場すると、アフリカ航路の開拓に注力し、喜望峰発見、インド航路の開通、ブラジル到達などの偉業が続き、大航海時代を迎えることになる。同じように勢いのあったスペインとの間で、世界を二分するほどの勢力を誇ったものの、史上ポルトガルがもっとも栄えたこの時代はそれほど長くは続かなかった。

扉
By
Madalena Pestana (CC)
1580年に王家が断絶すると、スペイン国王がポルトガル国王を兼ね、事実上スペインの統治下に置かれることになる。60年後にようやく独立を回復してからは、植民地を増やすなどいささかの繁栄を取り戻したものの、18世紀にはナポレオン率いるフランスの侵攻を受ける。一時はフランスに占領されたが、イギリスの介入などにより再度独立を回復した。しかし、最大の植民地であるブラジルが独立してしまう。その後は、内戦が続くなど国内が騒乱した時代が続き、民主主義運動の高まりによる革命がおき、1910年、ついにポルトガル王国は消滅し、共和国が誕生した。
長期にわたってサラザールによる独裁政権が続いたが、1974年のクーデターで完全な民主体制が整うと、1986年の欧州共同体に加盟、現在に至っている。




エクスコムシステム・ランゲージ・サービス

メールで問合せ honyaku@excom-system.com
( 日本語 ・ 英語対応可能 )


▲ページの先頭へ



エクスコムシステム・ランゲージ・サービス Copyright 2014無断転載禁止。