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印象派揺籃の地――ノルマンディー

ゴッホ
By Jason Wesley Upton (CC)


フランス語の翻訳を考えるときに、美術史でいうとフランスの文化史上最大の意義をもつ印象派をおろそかにできません。

印象派ともっとも深い関係のある土地といえば、もちろんパリ近郊のセーヌ河沿いですが、印象派が誕生した土地というと、ちょっと違います。印象派でいちばん重要な画家クロード・モネはノルマンディーのル・アーヴルの出身ですが、彼はここで出会った何人かの画家たちとの交流を通して自己の画風を作り出していきました。また、かれはこの土地の光、風土に影響されながら作品を作っていったのです。

モネはル・アーヴルで子どもの時から絵が上手で近所の文房具屋で、自分の絵(カリカチュア)を売っているほどでしたが、ある時ウジェーヌ・ブダンという画家にあって、もっと絵というものをまじめに考えて、まじめに習練するように諭されます。その後、モネはブダンにくっついてさまざまな技法を学ぶことになりました。

このブダンという画家も地元の画家で、もっぱら地元の田園風景、海景画、空の風景などばかりを描いていました。とくに雲の描写が得意で、オンフルールでであったボドレールに激賞されます。

いったいに北フランスの風景は空の光が弱く、おだやかな風景を展開しますが、ちょっと雲の様子が変わるだけで、風景全体の調子が激変するのです。
海辺ですと(川辺もそうですが)オゾンの影響もあって、輝かしい太陽の時と、そうでないときとでは光の落差がもっと拡大します。
そうした光の様相のもとで、モネは風景を描く方法をブダンから学んだのでした。
そのあとには、ブダンの友人であったオランダ人ヨンキントから、まるで水彩画のようにして海辺を描く方法を学びます。
さらに彼は、このノルマンディー海岸に来ていたクールベもモネに注目し、彼に庇護をあたえたばかりか、盛んに技法上のアドヴァイスを与えました。

ブダンの風景画はごたぶんにもれずまったく売れませんでした。それで彼は困窮の果てにトゥルヴィルなどの浜辺に避暑に来ている着飾った人々の情景などを描きました。これは予想外の売れ行きを示して、ブダンは一息つくことができたのです。
モネは師のこのような成功に刺激されて、同じようにノルマンディー海岸地方に避暑で遊びに来ているパリの華やかな社交世界の人たちを描くことを始めます。たとえば、1870年代に描いた「ホテル・ロッシュ・ノワール」は当時のトゥルヴィルでもっともスノッブであったホテルとその前の着飾った人々、はためくさまざまな国旗など、いかにも華やかな風情です。また、すばらしく晴れた日、ル・アーヴルのサンタドレスにある別荘地の庭にいる男女を描いた絵など、ヴァカンス生活がもつ愉悦を余すところなく描き出しています。

ブダンは地元の庶民の出身でしたのでパリからやってくるヴァカンス客に対して必ずしもしっくりしたものを感じていなかったのですが、モネは同じノルマンディーでも中産階級の出身で、こうしたパリからの客に対してむしろ共感を覚えているさまがありありと感じられます。

当時のバカンス生活は、上流階級はノルマンディー、庶民はパリ郊外、という棲み分けがありましたが、基本的には同じ楽しみですから、モネはノルマンディーで習得した技術をセーヌ河沿い地域でも応用できたはずなのです。


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フランス語一口メモ オンフルールの民宿「サンシメオン」
オンフルールの民宿「サンシメオン」

フランスの19世紀に画家たちが好んで集まった土地、バルビゾン、ポンタヴェンなどには、安く泊まれて食事もうまい旅館があって、そこに貧乏な画家たちが集まったものですが、印象派揺籃の地、ノルマンディーのセーヌ河口付近にも同じような民宿がありました。これが「サンシメオン」館です。これはル・アーヴルのセーヌの対岸の港オンフルールの西の郊外、ちょっと歩いた辺りの海を見渡す田園地帯にあるのです。

このセーヌ河口付近で海辺の避暑生活はオンフルールの西側20キロほどのトゥルヴィルから始まったのですが、ここが賑やかになり過ぎ、物価も高くなったので、画家たちはもっとお安い宿泊、もっとお安い物価を求めてこちらへ逃げてきたような格好になります。

このサンシメオン館は宿泊費も安く、食事もおいしく、安価で上質のシードルを出すので画家たちに好まれました。また宿賃の滞納も許したようです。
そのため、ここに長期、短期で宿泊した画家の数は大変なもので、コロー、クールベ、ブダン、ヨンキント、モネ、バジールのような名前も残されています。

このように印象派のスタート台になったこうした画家のグループを「オンフルール派」と呼ぶこともあります。


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