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フランス人とバカンス

犬と
By Prakhar Amba (CC)


フランス人というと、最初にバカンスのことを思い浮かべる方も多いでしょう。  
フランス語の翻訳に当たって理解しておくべきフランスの文化・社会現象の内、バカンスは最重要事項のひとつでもあります。
なにしろ、6月ぐらいになると、ナンの説明もなしに、フランス人の友人が

Quand partez-vous?

と聞いてくるほどで、バカンスの重要性を理解しないでいると、これがうまく訳せません。

フランス人は誰でも5週間の有給休暇をもらえる権利がありますから、これを利用して夏に長期の休暇を取るのです。標準的なタイプとしては、クリスマス前後に一週間、また復活祭前後に一週間、そして夏に3週間くらいとるというのを何かで読んだ記憶がありますが、現在では週に35時間以上働くと、超過時間をためて休暇にできますからそれを加えて夏に4週間ほど休む、ということは普通に行われているようです。
ただ最近は夏に各自がばらばらに休むと効率が悪いので、7月組と8月組に分けて休んだりしているようです。

つまり、7月と8月は会社の人員が半減するということです。

また、バカンス中は音信をまったく絶ってしまう人も多いので(連絡先を残していくと、なにか仕事上のことで連絡が来たり、呼びだされたりすることを嫌っている)、まあやはり業務はあまりすすまないでしょうね、夏は。

このようなバカンスのシステムは1936年に人民戦線内閣が3週間の有給休暇を認めたことから始まったということは有名な事実ですが、それは労働者の間の話でして、バカンスという観念自体は以前からありました。もともと貴族はその定義上、田舎に地所をもっているのが貴族で、かれらはルイ14世時代の中央集権化に負けて、ヴェルサイユに小部屋をもらって喜んだりしていましたが、夏には故郷に帰って土地の管理などをやっていたのです。また、これとは別にパリのブルジョワは18世紀頃から自然の気持ちの良さに目覚めて、パリの郊外に別荘を建てたりするのが大流行でした。そうして、もう一カ所18世紀に人気があったのは、ルソーの影響でアルプスです。

しかし、ではフランス人が皆が皆、バカンスに行くかというとそうでもないのです。まずお百姓さんはバカンスに行く確率が低いのです。彼らはもともと田舎の恵まれた自然のなかで暮らしているのですから、あまりバカンスの必要を感じないのでしょう。それに農作業を長期間休むわけにいきません。

また、小さいお店をやっているような人もあまりバカンスに行かないと言われています。休めばそのまま売り上げが落ち込むわけですから、休めないわけです。しかし、ご近所がみんなバカンスにいくので、店は閉めることは閉めたが、どこにも行かないで家に隠れている例があると冗談のように言われます。

まあ、多くのケースではお店はその中間をとって、10日ぐらい休むケースがよくありますね。しかし、自信のあるはやっているパン屋さんなどは一月まるまる休むケースも結構あるのです。

また、ここが日本とはもっと異なることですが、フランス人はカップル優先社会ですからバカンスで遊びに行くときに、子どもを夏期林間学校のようなところに預けっぱなしにして、夫婦二人で出かけるというケースもあります。

そうした需要に答えるために、アルプスやノルマンディーなどで、子供たちを一月預かる民間の施設があります。子供たちもこういう制度を幼いときから見ていますから、わりとおとなしく適応すると言われています。

現在はフランスでも、子ども優先主義が以前よりも強まり、子どもに甘くなっていると言いますが、こういう施設の存在をみているとやはりまだ、フランスという国は日本とは違うという思いを深く致します。


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フランス語一口メモ オンフルールーー日帰りで行くフランスの街

オンフルールはセーヌ河が大西洋にでる河口のまちです。セーヌから海をみて左側に位置しますが、右側の河口に巨大なル・アーヴルのまちがありますので、現在は海外と取引する貿易港という感じでありません。むしろこじんまりした漁師の港町でした。しかし、現在はここを訪れる観光客はル・アーヴルを訪れる商人に引けを取らない数がいるかもしれません。日本人の観光客にはとくに人気があるのです。

ここは港町なので坂が多く、浜辺から、また坂の上からよく見晴らせるすばらしい風景が展開します。とくに町の西側のほうに展開するやや低い土地から見た海景は絶品です。じつは19世紀にはここにサンシメオンという民宿があり、リーズナブルな宿泊料、おいしい食事、酒、そして掛け売りを許したので、画家がたくさん集まったのです。そしてここに集ったウジェーヌ・ブダン、ヨンキント、そしてクロード・モネらの画家たちもここに集ったために、ここが印象派の揺籃の地となりました。

そのために、オンフルールは現在はきわめて芸術的な、そしてトゥーリスティックな町のイメージを振りまいて、人気のある観光地となっています。


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