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スペインのフィエスタ(4)

王女さま
By Maarten (CC)

スペイン(Espana)のフィエスタ(4)

スペイン聖週間ではキリストの受難の一生を追いながらキリスト・聖母像が町を練り歩きます。似たように長いスペイン史の一幕を街中を舞台に再現、行列する祭りがあります。

ムーア人(またはモーロ人)とキリスト教徒の祭り(Moros y Cristianos)は、イベリア半島聖地回復にちなんで生まれた祭り(但し、一部地域では15から17世紀かけて対イスラム海賊の戦に由来)。

昔はイベリア半島全土で行われた祭りですが、ある時代を境にスペイン東部各地を中心に特に盛んとなり、今では壮麗な一大イベントとしてスペイン国内のみならず海外でもその名が知れるに至った町もあります。主な開催地はムルシア、カスティーリャ・ラ・マンチャ、アンダルシア東部、そしてアリカンテ県を中心とするバレンシア。またカタルーニア地方やマヨルカ地方、またアラゴン地方の一部の都市でも開催されています。

数世紀にわたるイスラム教徒によるイベリア半島の侵略・支配は、中世のスペイン社会に大きな足跡を残しました。けれど15世紀末キリスト教王国の聖地回復レコンキスタ終了と同時に、そのイスラムの名残が消えたわけではありません。その後もイスラム教徒ムーア人との戦にまつわる武勇伝や偉業が語り継がれ、レコンキスタ後の異教徒(イスラム教徒)キリスト教改宗にもかかわらずイスラム文化へのノスタルジーも否定できませんでした。やがてこのレコンキスタにまつわる歴史的エピソードは劇形式で後世に伝えられていきます。こうして、イスラムの名残が特に強い町では、時代と共に「フィエスタ」として認められ、これが近隣から周辺地域へと次第に普及していったのです。元来、キリスト教徒聖地回復を祝うという宗教色が強いかったこの祭り、今では娯楽要素もとり入れ、宗教的な祭りというよりむしろ華やかな時代絵巻物のようなユニークな祭りとなっています。

さて、簡単にその歴史について述べましょう。

この祭りはイベリア半島の聖地回復完了前、既に祝われていました(1150年レリダ、1426年ムルシア、そして1463年にはハエン)。但し、レリダの祭りは「ムーア人とキリスト教の舞踊」という異なる形式の祭りでした。これはスペイン人商人により実質上、地中海全域に広められました。(現在、このムーア人舞踊ダンスはクロアチア・コルチュラ島で「モレスカ」として受け継がれるのみ。)

16・17世紀には、領主の祭事や王訪問に際し催される特別行事、いわゆるパレードとして専ら行われ、毎年恒例の祭りとして採り入れたのは一部の地域のみでした。19世紀以降、特に20世紀になるとバレンシア州全土で広く一般に普及。ところで、ムーア人とキリスト教徒の祭りが今日知られる形式で初めて祝われた町は1588年カウデテ(アルバセテ県)。レコンキスタの史実を「大使」という劇にして披露したのがはじまりで、これが各地に広まっていきます。

時代と共に、レコンキスタ前後数世紀に各地で起きた出来事 ―例えば15~17世紀トルコ人・ベルベル人海賊のバレンシア沿岸遠征、または19世紀半ばのスペイン軍テトゥアン征服― が歴史劇に加えられました。また祭りにまつわる昔の伝統・習慣、イスラム世界の歴史・文化が見直され蘇ったのをきっかけに、さらにスペイン領土に広く浸透、スペイン全国で親しまれる祭りになったのです。20世紀スペイン市民戦争後、キリスト教を基盤としスペインや地元の史実を謳ったこの祭りが最も普及したのもうなずけるでしょう。

この祭りの長い伝統を誇る町では祭りは華やかさを増し、今ではとても盛大なパレードが催されています。

その筆頭がアルコイ(アリカンテ)。ここの祭りは1980年スペイン国際観光行事に指定、海外でも紹介されるなど国際的に有名。またカラバカ・デ・ラ・クルス(ムルシア)は2006年に同指定を受けています。ビリャホヨサ(アリカンテ)で繰り広げられる「ムーア人上陸」シーンもまた国際観光行事に加わっています。他にも、アルバセテ県のカウデテ、アリカンテ県のアルテア、ビアル、バニェレス、カスタリャ、コセンタイナ、エルチェ、エルダ、イビ、ムチャミエル、オリウエラ、オニル、ペトレル、サクス、サン・ブラス、ビリェナ、バレンシア県のボカイレンテ、オンテニエンテ、オリーバが有名。さらに、アンダルシア地方のアルメリア、カディス、グラナダ、ハエン、マラガ、カスティーリャ・ラ・マンチャ地方のアルバセテ、シウダレアル、クエンカ、トレド、ムルシア地方、バレアレス諸島、カタルーニャ地方のレリダ、カナリア諸島のテネリフェ島、バレンシア地方北部カステリョン県の一部でも毎年開催されます。

多少の違いはあるものの祭りは基本的にいくつかのシーンから構成されます。そのうち欠かすことのできないは入城もしくはパレード(Entradas o Desfiles)・大使(Embajadas)・行列(Procesion)で、しばしばその町の守護聖人を奉る行事と関連しています。

祭りの参加者はムーア人とキリスト教徒の2手に分かれ、それぞれ中世の当時を思わせるコスチュームをまといます。

この伝統行事が盛んなビアール、ボカイレンテ、ビリェナなど町では、原則として「キリスト教徒」そして「ムーア人」は各々の行進があります。(バニェレスでは「ムーア人」の行進はさらに「旧ムーア人(Moros Vells)」と「新ムーア人(Moros Nous)」のふたつに区別)

その後、前述の主な行列以外に他の行列も加わりました。例えば、農民(Labradores o Maseros)、密売人(ContrabanditasまたはAndaluces)、山賊(Bandoleros)、ムーア人から村を守った盗賊ミレノ(Mirenos)、漁師(PescaorsまたはMarineros)、海賊バッカニア(BucanerosまたはPiratas)、王の擁護をうけた海賊コルサリオ(Corsarios)、ジプシー(Zingaros)などがそれに該当し、いずれも各テーマに沿ったコスチュームをつけています。

先にも述べたとおり、各地の祭りはそれぞれ異なります。概して、特にバレンシア州、ムルシア地方およびカスティーリャ・ラマンチャで催される祭りでは、ムーア人とキリスト教徒の各派が1日ずつ町を占領。これが「モーロ人入城」と「キリスト教徒入城」です。そして、キリスト教徒側による町の再征服(レコンキスタ)で祭りはその幕を閉じます。なお、この「再征服」は各派による火縄銃・大砲などを用いる銃撃戦を交えた最終戦。この戦いの末、城が奪回されます(ちなみに町に城がない場合は、作り物の城取り合戦が繰り広げられます)。

各派は一般にcomparsaまたはfilaeといわれる一団を形成。毎年、ムーア人かキリスト教徒のコンパルサから大将または王が選出されます。そのほかにも、少尉、大使、遊撃士、旗手などの登場人物は様々。各コンパルサには各種催しを行う自分たちの兵舎、司令部または集会所があります。

開催地によっては祭りのスケールが違います。衣装の素晴らしさだけでなく、山車が出たりや馬・象・らくだなどの動物に乗り行列に参加したり、花火が盛大に打ち上げられる豪勢なパレードとなります。毎年、この祭りが開催されるちょうど半年前、多くの町でEcuador Festero またはmig any(バレンシア語で「半年」の意)が祝われます。

また、当初よりムーア人とキリスト教徒の祭りに不可欠なのは音楽。アルコイでは打楽器や縦笛、カスタネットが16・17世紀には使用され、また18世紀には太鼓やラッパが用いられるようになったという記録があります。

ムーア人とキリスト教徒の祭りの音楽は「Paquito el Chocolatero(チョコレート売りのパキート)」で有名なパソドブレ、ムーア人マーチ、キリスト教徒マーチの3つのジャンル。その違いは各々が刻むリズムで区別されます。 さて、スペイン3大祭りに負けず劣らず見どころあふれるこの祭り、日本ではまだあまり知られてないようですが一見の価値あり。但し、多くは守護聖人の日と連動するため各地の開催日は要チェック。例えば、アルコイでは4月21~23日(聖ジョルディ)。


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スペイン語一口メモ MoroとCristiano

このふたつの単語には、文字通りムーア(モーロ)人とキリスト教徒のほかにも別の意味やおもしろい表現があります。
“haber moros y cristianos”というのは、「けんかや大騒ぎがある」という意味。
ワイン(vino)について、vino cristianoというと、水で薄めたワイン(キリスト教徒は洗礼をうけているため)、逆にvino moroは水で割っていないワイン。
それから”hablar en cristiano”というときのクリスチャン語とは、「皆がわかる言語、わかりやすい言葉」、またはズバリ「スペイン語」です。但し、意味不明な言葉という場合、moroではなくchino(中国語)です。






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