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スペインのフィエスタ(3)


牛
Presented by Eneko Alonso (CC)

スペイン(Espana)のフィエスタ(3)

ヘミングウェイの小説「日はまた昇る」で有名なサンフェルミンの牛追い。 牛追い(encierro)とは、スペインやラテンアメリカ各地の祭りで行われる昔ながらの闘牛のひとつ。これは参加者が牛の前を走るという慣わしで、闘牛用の雄牛や子牛が路上に何頭か放たれ、牛に触れることなく出来るだけその近くを走ろうとする人が高く評価されます。この祭りは、時には死にいたる負傷者が出るなどの危険を伴います。が、その多くは経験のない参加者が招くもので、つまずいたり、走者が一挙になだれ込み行き場を失って発生する事故が原因です。

普通、牛追いは街中で行われ、闘牛イベントの開催中、牛追いが通るコースには毎朝、板垣や2重の柵が立てれ、その日の午後闘牛に登場する牛がそこを走り抜けます。牛追いに参加できる年齢は都市によりまちまちで、16歳で参加資格が得られる町もありますが、通常は年齢制限がありません。

スペインでもっとも有名な牛追い祭りは、間違いなく、パンプローナで聖フェルミンを奉るフィエスタ期間中に祝われるサンフェルミン、そして牛と馬が一緒に闘牛場へ向かって駆けていくセゴルベ(カステリョン)の牛追いです。スペインで国際観光行事に指定される牛追いは、この2つのみです。

では、ここでスペイン3大祭り、パンプローナのサンフェルミンについて紹介しましょう。
毎年7月6日正午、パンプローナの市庁舎前広場は集まった群衆であふかえります。首には赤いハンカチ。そしてバルコニーに市長が登場。「パンプローナの皆さん、ビバ、サンフェルミン!(Pamploneses, pamplonesas, !VIVA SAN FERMIN!, Irunatarrak, !GORA SAN FERMIN! )」と叫び、打ち上げ花火が発射。これがChupinazo。さぁ、サンフェルミンの幕開けです。

牛追い
サンフェルミン開催中、ある者は勇気を奮い立たせ、またある者は目前の危険を自覚しないまま、牛たちの前を駆ける決意をします。生まれながらのパンプローナの人々は牛追いの達人。スペイン国内や世界各地から訪れた勇敢な観光客らがこれに加わり、牛追いに挑みます。

最初の牛追いは7月7日、最終日は14日。毎朝8時スタート。

道のりは、囲い場(牛はここで一夜を明かす)から闘牛場まで全長849メートルの石畳です。牛追いの群れは、時速約25Kmで走るため、平均約4分で牛追いは終了。6頭の雄牛、その群れを先導する牛8頭、さらに、牛があやまって取り残された時、それを元の群れに戻してくれる男たち(いわゆる牛飼い pastor)が続きます。この牛飼い役はブレスレット―現在は緑色―が目印ですが、牛追いの参加者と明確に見分けがつくよう、緑色のウェアを着用するようになりました。また、闘牛を提供する牧場は日替わりですから、サンフェルミン期間中に計8つの牧場が参加することになります。

牛追いの最中、新聞で叩き牛を率いていくような人は少なく、大多数の人たち、とくに初参加者は皆、牛とある程度の距離を置いて走ります。とはいえ、人によっては牛に追いつかれ、角やひづめで負傷することも・・・・・・これは、牛追い経験者なら十分承知の注意事項を守らなかったり、しらふでないのに牛追いに参加した結果であることが多いのも事実。人ごみが押し寄せるため、牛追いの常連にとっても危険は増大しています。

さて、牛追い見物ですが、通り沿いに設置される木製の柵越し(但し、格好の場所で、というならスタート2時間前には場所を確保すること)、かなり高額ですが個人が提供するバルコニー、また闘牛場からもその醍醐味が味わえます。尚、闘牛場では、祝日・週末は入場料を払わなければなりませんが、平日は入場無料。

牛追いには、参加者全員が周知するべき安全規定があります。ここには、例えば、転倒の場合、牛の角に突き刺され重傷を負う危険があるため、即立ち上がらず胎児のように身体を丸めてうずくまり、頭を両腕で保護することも含まれます。メルカデレス(Mercaderes)通りからエスタフェタ(Estafeta)通りにつながるカーブでは、内側を通ることも大切。これは牛が全速力で走って来たり、道が滑りやすいとき、カーブ外周にある保護柵に体当たりでぶつかることがあるからです。またリュックサックやカメラ・ビデオ持参で牛追いを走ることも禁止されています。

すべての牛が闘牛場の囲い内に追いやられると、牛追い参加者は、闘牛場内の砂場に牛が放たれるのを待ちます。牛が飛び出してくる扉の前に座りこむ人もいますが、子牛がその上を通りすぎる醍醐味を味わおうとするためで、この祭りではよく見られる光景。が、多くの人は子牛になぎ倒されてしまう羽目に・・・・・・。ひとつには、これほど大勢の参加者がいては、この動物がどこに向かうのか知ることが難しいことにあります。


起源
ナバラ地方の守護聖人・聖フェルミンにちなんだ牛追いは、中世の「入場(entrada)」がその起源。
この地方の牧畜家は、かつてリベラの牧草地から闘牛用の牛をマヨール広場へ連れてきていました。当時、まだ闘牛場がなくこの広場が闘牛に使われていたためです。闘牛の前夜、町の近くに野宿。夜明けと共に、先導役の牛に守られた牛の群れが人と一緒に町に突入。人は馬に乗るか徒歩、棒を使ったり叫び声を上げながら、牛を囲い場に追い込みました。しかし1717年および1731年、牛追い禁止。その後、1776年に初めて闘牛場(現在のカスティーリョ広場にあった)まで柵が立てられます。時代は流れ、19世紀後半になると、牛を囲いに追い込むために、牛の後ろではなく前を走るようになります。こうして次第に民衆の慣わしへと発展したのです。さて、1856年には牛追いencierroと呼ばれ(以前は入場entrada)、エスタフェタ通りを初めて牛追いが通ります。当時の記録によると、牛の前を走ることを妨げた禁制を最初に破ろうとしたのは、サントドミンゴ坂に隣接するこの坂の名がついた市場の肉屋たちだった、といわれます。

賛歌
また牛追いの前、参加者はサントドミンゴの坂道(坂の入り口)で賛歌(canticos)を唱え、守護聖人聖フェルミンのご加護を求めます。これは牛追い開始の5分、3分、1分前、つまり7時55分、7時57分そして7時59分の3回行われます。2009年からはスペイン標準語とバスク語で唱えられるようになりました。

ルート
牛追いは、パンプローナの旧市街を通って実施されます。サントドミンゴ坂に設けられた囲い場からスタートし、コンシストリアル広場(市庁舎広場)に至る坂を登ると、メルカデレス通りへ曲がり、エスタフェタ通りに入ります。この道は電話局Telefonicaの前を通過、最終的に闘牛場に入るための路地へと続きます。元来のルートはカスティーリョ広場が終着地でしたが、1856年に初めてエスタフェタ通りを通過するなど、長年の間に修正され現在に至っています。メルカデレス通りとエスタフェタ通りの角は、写真家に最も人気のスポット。このエスタフェタ通りは、牛追いの全行程でもっとも長い直線コースが見られる場所でもあります。

その他
サンフェルミンは、牛追いだけではありません。ほかにも見どころがあります。 その他、スペインのほかの都市同様、ここでも打ち上げ花火が夜空を飾ります。

そして、7月14日夜中0時。市役所前の広場に人々が集まり、フィナーレの花火が打ち上げられる中、"pobre de mi, pobre de mi, que se han acabado las fiestas de San Fermin(かわいそうな私、かわいそうな私、サンフェルミンのお祭りが終わってしまった)"という歌を唄いながら、その祭りの幕を閉じます。


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スペイン語一口メモ Poteo

“Nos vamos de poteo”とは?
これは昼、または午後、バル(bar)のはしごをすること。“Pote”にはつまみpintxoがつきもので、ワインやビールを一杯飲み、そしてまた別の店へ。また"ir a echar unos cacharros"ともいいます。タパスを食べ歩く“tapeo”のピンチョ版です。
小皿料理タパとの違いは、ピンチョは輪切りのパンの上に食べ物がのった小型のオープンサンドで、上から楊枝(palillo)が刺してあります。

ナバラ地方はワインどころでもありますが、食後に是非試してみたいのが地酒のパチャラン(pacharan)。スモモの一種から採れる果実スロー(endrina)をアニス風味の蒸留酒に漬けたリキュール。ナバラ地方では中世の頃から親しまれています。






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